未来の自分は 今の自分が作ると考え行動しましょう

さくら茶屋物語

今朝何気に机の下を見たら
ファイルがある

なんだろうと中を見ると
私が30歳の時
始めて作った店の写真が!!

懐かしくて見てると
危うく遅刻しそうになった男

 

尾道駅前の甘味処
尾道さくら茶屋と尾道大判焼きさくら
店主リンダです(^O^)/

今から18年前です
この写真はオープンして2年後くらいかな~

京都の甘味処で修業し
小京都と言われる尾道なので

屋号を
京都さくら茶屋でのスタートでした
12席しかなかったんですよ~

今朝フェイスブックページに投稿すると

「行ったことありますよ~」

「よくランチに行ってました」

「仕事帰りによく寄らしてもらってました」

コメント頂きました

この時はまだ前職の
広島そごうにある文の助茶屋の店長しながら
休みの日、
尾道に帰ってから仕込みなどし
日中は妻と母にお店を任せてました

定休日は日曜祝日でした

その理由ですが
まだ娘の舞、明日香が小さく
日祝預かってくれる幼稚園がなかったからです

売り上げは平日だけでしたので
それはもう少なかったです(^^;)

でも少しずつファンもついてきて
オープンして3年後には
この店舗の右となりが空いたので
会社を辞め
この時移転し会社を設立しました

有限会社さくら

屋号も 甘味処 尾道さくら茶屋に変えました

赤い車が見えると思いますが
その場所に最初の店がありました
今は駐車場になってます
(さくら茶屋本店は残念ながら閉店しています)

 

 

ここで11年間営業し
尾道駅前に出店します

オープン直後の写真です

ひとりで仕込みして
ひとりで掃除して準備してました

あっ、怪しいおじさんが!!(笑)

テイクアウト用の窓もなければ
外のベンチもありません

大きな懸垂幕をかけてました
貸し鉢もね(^^;)

この時はまだ
三成の本店と同時に営業してました

本当はずっと尾道で2店舗営業し

駅前店は
観光客のかたに

本店は
地元の人に

そう考えてたのですが
私の力不足で閉店させてしまったのです・・・

こう過去の店の姿を見ると
歴史を感じさせ
過去の思い出がフラッシュバックします

尾道駅前に出店するも
最初は散々でした
その模様を過去にブログ書いてます
時間があれば読んでください

どん底から這い上がるまで1
尾道駅前の甘味処 尾道さくら茶屋を経営しながら ソーシャルメディアを研究してる男 “RIN☆DA”です(^o^) 恒例、 月曜休みのブログ更新です! 毎日出来ればいいのですが Facebookで精いっぱい(^^;)...
どん底から這い上がるまで2
尾道駅前の甘味処 尾道さくら茶屋を経営しながら ソーシャルメディアを研究してる男 “LIN☆DA”です(^o^) 先週月曜営業したので ブログ更新が出来ませんでした でも過去のブログは編集しながら毎日アップし...

 

 

最初は1階だけで
席も7席しかありませんでしたから
私一人で回してました

それが徐々にお客様が増え
スタッフも増え
外観も変わってきます

現在は

暖簾もかなり変わりましたね~♬

これを書いてて思ったんですが

店は自分の鏡だ

そう思いました

今こうして
過去のさくら茶屋の外観を見ると
昔の自分がよくわかるように思います

これからも
さくら茶屋=自分だと考え
ご来店していただいたお客様に
日々進歩していく姿をお見せ出来たらいいですね

ちゃんと見てる人は見てるんですよね

神様もちゃんと見ています

だから誰も見てないと手を抜かず

未来の自分は
今の自分が作ると考え行動しましょう

今日お伝えしたいことは以上です

いつもブログ訪問ありがとうございます
今日はこれでおしまい!!

今日も最後まで読んで下さりありがとうございます
これを読んでくれた人全員が
明日も笑顔の花が咲きますように

 

プロフィール

1969年7月生まれ
高校卒業後
父親の影響で日本料理の道に進むが挫折、
次に小さいころから甘いものが好きだったせいもあり
大阪で見つけた甘味処で修業する

23歳の時広島そごう店の店長となり
13年間務める

33歳の時
美ノ郷町三成に甘味喫茶さくら茶屋オープン
(現在は閉店)
同時に有限会社さくら設立

42歳の時
尾道駅前にテイクアウトメインのカフェ
甘味処尾道さくら茶屋を出店

48歳の時
さくら茶屋から大判焼きを切り離し
大判焼き専門店
尾道大判焼きさくらを出店

甘味でたくさんの人を笑顔に出来たらと
日々奮闘中!!

夢は情熱大陸出演
尾道土産として看板メニューの
“とろけるわらび餅”を定着させること

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